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「空気に流される」ことの対義語を「一人ひとりが考える」こと 〜 ガッチャマン クラウズ インサイトの感想より

今頃、録画したものを最終回まで見た。 なんとなく、直感的に重そうなものは後回しにして元気なときに見るようにしているのだけど、なかなか重いテーマだった。「空気に流される」ことの危険性と、「一人ひとりが考える」ことの重要性は視聴者に伝わったんだろうか。




日本国を戦争に駆り立てた空気、ドイツでユダヤ人迫害に駆り立てた空気、 そういう空気には危険な面もあって、それをテーマにするアニメがあるとは。 こういう挑戦は好きなんだけど、これ人気でなかったんじゃないかな。

興味深いのは「空気に流される」ことの対義語を「一人ひとりが考える」という風に本質を深く掘り下げていたこと。

今の世の中、情報共有が加速的に進むことで、ネットには一人ぼっちにならないための「空気」があるし、自分に都合のよい考えを「代弁者」も多くいる。つまり、空気に流されやすい状況が、そして一人ひとりが考えなくてよい状況が拡大している。そういう意味で、空気がもたらす危険性が高まっているともいえる。自分が、多数派の考えを元に発言しているつもりなら、大胆な行動・発言もやりやすくなるし。

一見すると奇妙に思えるのだけど、情報共有が進むことで多様性が失われる方向に向うように思う。そして、代弁者が増え、一人ひとりが考えなくなると、本能的に感情的に分かりやすい意見だけを取り上げる人が増えていく、結果的に「拡張機」のような効用を生む。この「多様性の減少」と「拡張機」の効果が重なることで、世界は不安定になっていく。人への敵意もあつまれば組織化するし、その組織が誰かを傷つければ、また対抗する悪意が生まれる。本当に必要なのは「多様性を認めること」なのだろうが、それは空気に流されるのと反対の……つまり「一人ひとりが考える」苦痛を伴う。

Kai * TV・映画・アニメ・書籍 * 23:26 * comments(0) * trackbacks(0) * web拍手WEB拍手!

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